こんにちは、発達障害+知的障害のある凸凹男子(小学生)を育てている もも です。
夏休みも、あと1週間ほどになりました。
この時期になると「夏休み明けの登校しぶり」という言葉を、あちこちで見かけるようになります。生活リズムの戻し方。行きたくないと言われたときの受け止め方。無理に行かせなくて大丈夫、という言葉。
どれも大事なことだと思います。うんうん、と思いながら読んでいます。
でも、うちの息子は渋りません。
毎年、拍子抜けするくらいあっさり学校へ行きます。今年もたぶん、そうだと思います。
よかったね、と言われそうですが、わたしはこの「あっさり」を素直に喜べていません。
息子が待っているのは、学校じゃない
うちの息子は、放課後等デイサービスに週5で通っています。

夏休みのあいだも、ほぼ毎日そこに行っていました。
そして毎朝、放デイの予定表を見ています。今日は何をするのか。どこへ出かけるのか。おやつは何か。飽きもせず、ほんとうに毎日見ています。
二学期が近づいてきても、息子は落ち込むどころか、少し機嫌がいいくらいです。
はじめは、学校が好きなんだと思っていました。
でも、そうじゃありませんでした。
息子の頭の中では、こうなっていたんです。
学校に行かないと、放課後デイには行けない。
実際にそういう決まりがあるわけではありません。でも息子は、そう理解している。だから学校へ行く。
つまり息子にとって、学校は目的地ではなく、放課後デイに行くための通り道なんです。
あっさり行くわけです。行かないと、その先がないんだから。
「俺、友達いないもん」
夏休みのある日、息子が放課後デイから、一枚の紙を持って帰ってきました。
室内遊園地の、無料招待券です。その日、放デイのみんなで遊びに行った先でもらってきたものでした。
よほど楽しかったんだと思います。帰ってきてからずっとその話をしていて、しばらくして、券を持ってきてこう言いました。
「これあるから、また行きたい」
わたしは深く考えずに、こう答えました。
「ママたちと行ってもつまらないと思うよ。お友達と行ったから、めちゃくちゃ楽しかったんだよね」
そういうつもりでした。あの楽しさは場所のおかげじゃなくて、一緒に行った相手のおかげでしょう、と。むしろ、いい時間を過ごせたねという意味で言いました。
息子は、あっさり返しました。
「おれ、友達いないもん」
責めるでもなく、泣くでもなく、天気の話をするみたいな言い方でした。
わたしは、何も返せませんでした。
――あ、分かってるんだ。
親というのは勝手なもので、本人はまだ気づいていないんじゃないか、分かる年齢じゃないんじゃないか、と、どこかで思っていたんだと思います。
でも、分かっていた。とっくに、自分で。
悲しい言葉でした。そして、申し訳ない気持ちになりました。
わたしがもっと社交的だったら。ママ友の輪にすっと入れて、家に呼んだり呼ばれたりできる人だったら。息子に、外で遊べる友達を作ってあげられたんじゃないか。
どうしても、そう考えてしまいます。
そして悔しいことに、「友達がいない」というのは事実です。
学校の外で遊べる友達は、いません。休みの日に「今日◯◯くんと遊ぶ」と言って出かけていくことはないし、放課後に家のチャイムが鳴ることもありません。
息子が「友達」という言葉で何を指しているのか、本当のところは分かりません。そこまで言葉で説明できる子ではないので、こちらが察するしかない。
ただ、たぶん息子の中では、外でも会って遊べる相手が友達なんだと思います。
放課後デイで一緒に遊ぶ子たちは、楽しい相手ではあっても、そこには入っていない。だから、無料券をもらっても、誘いに行く先がない。
その事実を、わたしより先に、本人が受け止めていた。
そのことが、いちばんこたえました。
ちなみにその無料招待券は、まだ引き出しに入っています。
放課後デイが、息子の社会だった
以前、夏休みの記事で「放デイは預け先じゃなくて居場所です」と書きました。

書いたときは、正直、半分は自分に言い聞かせるつもりでした。預けることへの罪悪感を薄めたかったんだと思います。
でも今回、その意味がもう一段はっきりしました。
放課後デイが休みの日、息子は、明らかに暇そうにしています。
やることがないというより、会う人がいないという感じの暇そうさです。家の中をうろうろして、テレビをつけて、また消して、わたしのところに来て、意味もなく話しかけてくる。
夏休みで学校が休みでも、放課後デイがある日は平気なんです。しんどそうなのは、放課後デイが休みの日。
つまり息子がつらいのは「学校がない日」ではなく、「人に会えない日」だった。
放課後デイは、居場所というより、もっとはっきり言うと、息子の社会そのものでした。
友達がいない、と本人が言う。それでも毎朝、予定表を見ている。あの場所には、会える人がいるから。
渋らないのは、強いからじゃない
ここまで書いておいて、こう思われるのは本意ではないので、はっきり書いておきます。
うちの子が渋らないのは、強いからではありません。
学校という場所が、本人にとって何を意味しているか。それが違うだけです。
うちの息子にとって学校は、勉強する場所でも、評価される場所でもなくて、放課後デイへの通り道です。だから、行くことのハードルが低い。
一方で、学校に行けない子には、そこに別のしんどさがあります。
音がつらい。人が多すぎる。勉強がわからなくて座っているのが苦しい。誰かに何か言われた。理由が言葉にならないこともあります。
同じ「学校」でも、子どもによって、まったく別の場所です。
だから、行ける・行けないで子どもを比べても意味がないし、行かせられない親が力不足なわけでもありません。
うちはたまたま、息子にとって学校の意味づけが「通り道」だっただけ。
自慢する話ではまったくなくて、その裏には「友達がいない」という、わたしがまだ受け止めきれていない事実があります。
生活リズムは、ゆるく戻す
とはいえ、二学期に向けてやっていることもあります。
夏休みのあいだ、息子は遅いと9時起きでした。学校がある日は6時半に起きなければいけません。
その差、2時間半。
なので今、少しずつ起床時間を前に戻しています。
ただ、ここは正直に書きます。
「毎日10分ずつ早める」みたいなことは、やっていません。
そういう記事をよく見かけますし、理屈としては正しいと思います。昨日が8時20分なら今日は8時10分。カレンダーに書いて、逆算して、きっちり管理する。
でも、うちでやったらどうなるかというと、息子とぶつかって終わりです。
眠い子は起きません。無理に起こせば不機嫌になり、朝から怒鳴ることになり、リズムが戻る前に親子の空気が壊れます。生活リズムを整えるためにやっているのに、いちばん大事なところが崩れる。それでは本末転倒です。
だからうちは、こうしています。
- 目安は持つ。始業式までに6時半、というゴールだけ決めておく
- カーテンを開ける、テレビをつける、朝ごはんのにおいをさせる。起こすというより、起きやすくする
- 早く起きた日は、それだけで良しとする。前の日より遅くても責めない
- 何時に起きたかより、夜に早く寝られたかのほうを気にする
きっちり階段を上るのではなく、だいたいの方向に向かって、うろうろしながら近づいていく感じです。
ちなみに息子は時間の感覚がつかみにくいので、「あと何分」を目で見えるようにする道具はずっと使っています。

始業式当日に一発で6時半に起きられなくても、それはそれで構わないと思っています。数日かけて戻ればいい。
追い込むための準備なら、しないほうがましです。
まとめ:行けるかどうかより、そこが何の場所か
夏休み明け、息子はたぶん今年もあっさり学校へ行きます。
でもそれは、学校が好きだからでも、うちの子が強いからでもありません。その先に、会える人がいる場所があるからです。
行けるかどうかより、その子にとってそこが何の場所なのか。
そこを分かっていないと、対策も的外れになる気がしています。
うちの場合は「友達に会いたい」でした。よその子は、別の理由かもしれません。安心できる先生がいる、給食が楽しみ、決まった時間割が落ち着く、逆に、そのどれもがしんどい。
夏休み明けが不安な方は、「学校に行けるか」ではなく「うちの子にとって学校は何の場所か」を、いちど考えてみてもいいかもしれません。
わたしはまだ、「俺、友達いないもん」への答えを持っていません。
持っていないまま、二学期を迎えます。
それでも、放課後デイの予定表を毎朝見ている息子の横顔を見ていると、この子にはちゃんと居場所があるんだなと、少しだけ救われます。
そんな息子の今の様子は、こちらにも書いています。


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