こんにちは、発達障害+知的障害のある凸凹男子(小学生)を育てている もも です。
今日は、いつもの支援制度や療育の話とは少し違って、「きょうだい児」——障害のある子の、きょうだいの話を書きます。
わが家の末っ子には知的障害があり、上のきょうだいとは年がぐっと離れています。
「きょうだい児はかわいそう」「我慢ばかりさせてしまう」——そう言われることが多いテーマです。でも、わが家のリアルは、ちょっと違うかもしれません。今日は、そのことを正直に書きます。
年が離れている、ということ
わが家は、上のきょうだいと末っ子の年齢が、かなり離れています。
だからなのか、張り合ったり、競い合ったりする関係ではありません。どちらかというと、上の子たちが弟を見守り、手を貸してくれる——そんな関係になっています。
同じくらいの年のきょうだいだと、「どうして弟ばっかり」と、やきもちや我慢が前に出ることもあると聞きます。わが家の場合は、年の差が、関係のかたちを少し変えているように感じます。
正直、助けられている。励まされている
書いていて、自分でも不思議なのですが——わが家は、上のきょうだいに「助けられている」ほうが、ずっと大きいんです。
弟の世話を手伝ってくれるのは、もう日常のひとコマ。それだけではなく、弟が癇癪を起こしたときには、長い時間ずっと抱っこしてくれることもあります。私たち大人とは違う目線で、弟とまっすぐ関わってくれる——そんな姿に、何度も助けられてきました。
そして、私が育児に疲れているとき、逆に励まされることさえあります。
忘れられないのは、弟の就学相談のときのこと。私が「周りにどう見られるだろう」と、世間体や体裁を気にして悩んでいたとき、上のきょうだいがこう言ってくれたんです。
「弟が安心して通える場所なら、それでいいじゃん。周りの目なんて、俺は気にしないよ」
私が勝手に背負いこんでいた“世間の目”を、その一言が、軽々とぶっ壊してくれました。
「きょうだい児=かわいそう」という言葉だけでは、とても語りきれない。わが家には、優しさのほうが、たしかにあります。
でも、「言ってこない我慢」もあるはず
ただ——ここは、親として忘れないようにしている部分です。
上のきょうだいは、もう大きいです。聞き分けもいい。だから、不満や我慢を、あまり言ってきません。
でも、言ってこないことと、我慢がないことは、別だと思っています。
弟に手がかかるぶん、本当はさみしい思いをしたこと、後回しにされたと感じたこと——口に出さないだけで、きっとあるはずです。「いい子だから大丈夫」で済ませてしまうのが、一番こわい。
だから私は、「あなたの我慢に、ちゃんと気づいていたい」と思っています。
「お兄ちゃんだから」で、済ませたくない
きょうだい児を育てるうえで、私が気をつけているのは、上のきょうだいを「お兄ちゃんだから」「もう大きいから」でひとくくりにしないことです。
- 弟の世話を「当たり前」にしない。手伝ってくれたら、ちゃんとお礼を言う
- ときどきでも、その子だけと過ごす時間をつくる
- その子の人生は、弟のためにあるわけじゃない。一人の人間として、向き合う
完璧にはできていません。手が回らない日も、たくさんあります。それでも、きょうだいの人生も、末っ子と同じくらい大切だということだけは、見失わないようにしたいんです。
おわりに
きょうだい児は、「かわいそうな存在」ではありません。
優しさも、我慢も、そのどちらも抱えながら、その子なりに、ちゃんと育っています。
もし今、障害のあるお子さんのきょうだいのことで、心のどこかが気がかりなママがいたら——わが家も同じです。完璧な答えはありません。でも、「気にかけている」という気持ちは、きっと伝わっていくと信じています。
息子の成長の記録も、別の記事で書いています。
※この記事は、わが家の体験と気持ちをもとにしています。きょうだいの感じ方や関係は、年齢差や性格、ご家庭によってさまざまです。



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